歴史研究家 草地貞吾『天皇私観』

天皇は自己同一である
「人間としての天皇は、それぞれ個性を持たれる。その固有の年令、能力、識見、健康度などに差等のあるのは当然である。
だが、天皇というものは、その個性において見るべきものではなく、その全体性において捉うべきものだ。天照大神の血統と道統を継受する允分允武、至真至善なるものとし て認識せらるべきものである。」

天皇に公私の別はない
「日本一億国民には、それぞれ公事もあれば私事もある。実はそれら一切の公事、私事の最良の手本原点となられているのが、天皇であられる。日本中を探しても天皇の日常 ほど透明で昭々たるものはない。
それはその筈で、天皇は昔も今も日本の大陽様なのだから。果して太陽に公私の別などあろうや。」

天皇に責任はない
「われわれ個人の生命はその個人にとっては絶対なるものである。従って個人の如何なる行為に対しても無限の責任は負担するが、これに有形無形の責任を追及することはで きまい。
刃物で誤って指を切ったと仮定すれば、直ちにわが全心身はー眼も手も足も神経もーその救援におもむくのであって、この際その個人生命は、相すまないなどというような 責任をとって自殺するようなことはしないだろう。
 天皇は日本国家生命の全体的顕現なのだから、どんな場合にも天皇が常に天皇としておわしますことが、最善最良の責任遂行行為であって、終戦後一時話題に上った退位な どということは、天皇の無限責任性を放棄する以外の何物でもない。」

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